夢と妄想

妄想が出来なくなった。

「こうなったらいいな」も少しずつ本気で300億を望まなければならないくらい力強く遠くになった。

身近な人間にナニカの期待をしなくなった。

「止めた方が良い」じゃなくて、予想した以上の事なんか他人は持って来てはくれないという事実を理解した。

 

自分で歩かなきゃ、自分で触らなきゃ、自分勝手に生きなくちゃ、予想以上の解答は多分無いとやっと本質的に理解した。

 

それでもう一度夢が見られた。

 

もう一度、誰かがナニカを持って来てくれるなんて期待もせずに、なんなら巧い事そういうモノを今だに信じているヤツを騙す程度に笑顔を作って、ひとりぼっちを楽しむ事にして。

 

そしたらもう一度夢が見られた。

 

ルネサンス印象派の画家達のスキャンダラスな生き方の話を、新技術の可能性を、私が見ている世界の後ろでなにが起きているのかという少しの不思議を読めば、聴けばワクワクは止まらなくなった。

 

でも、現実は横たわっている。

やっともう一度の夢が見られた後に待っていたのは情けなくて退屈で、多分私の人生において本当は無価値な今だ。

いや、正確には、「無価値だ」と思っている場所にいる私だ。

きっと「無価値だ」と思いながらもここにいる事を振り返れば学べる事はある。

 

一周回ってもう一度夢が見られてワクワクする事を知ったら、本当にあと少し。

忘れたと嘘を何度もついたあの日を、忘れる程の今がある事は、夢を見る為に「無価値」から逃げなかった時間だと思えば割もいい。

 

もう一度夢を見た。

だから多分本当に、あと少し。

気持悪い

人は都合のいい人が好きだ。

人の努力値は、対その人の都合によって価値が決まる。

結果、例えば弊害だった輩が「その人によって都合のいい様に進化すれば」その輩に価値は生まれて評価は生まれる。

 

間違っていない。正しい。至極全うだと思う。

 

で、じゃあ、それを試しに二度程やってみた私が思った事が「気持悪い」だ。

 

相手の都合は承知で、それの価値を尊いかどうかはさておいて、とりあえず、うるさいから、腹立つから、黙ったら良いと思ったから、努力で殴ってみた。

ら、黙るどころか掌を返した。

 

それを「気持が悪い」と思った。

 

三度で人の感覚が決まると聞いて、最後の一度はもう、どうしたって自分を観てもらいたい状況でやらなきゃダメな気がする。

そうじゃないと、努力とか頑張る事が結局気持悪い所に流れ着くんだと、この馬鹿な脳みそは勘違いしそうで怖い。

 

都合がいいから掌を返すなら、初めからそれを知れば良いと思うのは傲慢だ。

でも気持ちが悪い。

初めからそうと勝手に思い込んでいたソレが露呈するソレが気持悪い。

 

掌返さない人もいたので、それはいっそ清々しい。

私はそうなりたくないと思って気付いたのが、私はそうかまだ、人を評価する立場と責任がないんだな。

そうなったら掌返すのかな。気持悪いな。

その計算

「結果出ました」

という数字の話を聞いて思った。

 

最終的な結果を出していない。現状で言うなら君がやった事は最終目標のための企画書を書いただけなのに、なんでそうも立派な御殿が建つのかね。

 

好きじゃないんだよ。

ひとつでも見えるカタチに出来ない数字というヤツが。

 

人が死なないための数字が、私は好きだよ。

四方の意味で。

基軸に後悔

ちょっと前にかなり辛い事があって。

それで色々新しい事を始めたんだよ。

結構冒険的な事もやって。

楽しかったんだ。

 

でも、何故か上滑りだなと。いつも思っているんだよ。

 

多分、どこかでその本意は風化して終わっている筈だし、自分も多分理解しているはずなのにと。

 

旅をする。キャリアを積む。新しい事を知って、知らない人と出会う。

すべてを、あの時のその事実と無関係だといえない自分も、まだ言えない事実もあるけれども。

 

後悔はあるよ。と言った上でのこの現状かと気付けばまあ、嬉しいし楽しい。

今の基軸は後悔に依って。

それは、馬鹿を観ている様に見えるだろうが、上滑りする感覚はとどのつまりそうだろう。

 

本心すら誤摩化してどうにか言う事を選んだ時期もあったから、それでもそれではどうしても無意味だと、結局解っただけである。

 

上滑りは今だに滑る。

 

伴侶が、プライベートライアンを観たいと言っている。

観ましょう。観た事無いし。

いやだな。君の話が解らない。

結構量のタスクが積まれてる。

妙な性格が助かって、「よっしゃ!このタスク片付けましょう!」と発奮してる。

君が好きだ。

君は誰だろうと、ふと想う。

 

美しい色と形、性的発奮を作用する声と造形。

 

君は誰だっけ。

 

前々から

忘れたと言い張りたかったその、ものモノをいよいよ、本意で解らなくなりつつある。

 

寂しいと、最早想えなくなりつつあるのが年月かと。

余りにも今の目の前が楽しくて。

 

だって仕方ないじゃないかと。

誰も別に責めてやいないのに、言い訳がましく。

 

その返事が来ない事をまた今年の夏もふと想った。

 

「聞いてよひどくない?」が解らない時は調子がいい。

女性特有のいざこざ、あいつがムカつく、パートナーの愚痴、悪意の砦。

それが何一つ楽しくないどころか、マジで理解出来ない時の女は充実しているんだなと最近気付いた。

要は全方向の興味が今自分ひとりに向いている証拠なんだなと。

良い意味で。

 

タイミングが合わなければその手の話を理解する事も出来なかった人生だったので、そりゃ彼氏が出来て別れて3ヶ月くらいのタイミングで情報共有される訳だよ。

 

こんなに周りに優しくないヤツに、そんな話したって面白くないもんな。

 

昔は結構反省してたけど、今は反省する様な事なのかも解らない。

悲しい事は、悲しいという事でちゃんと解ったと伝えたら、ソレ以上はもう何をすれば良いのか解らない事を、優しくないとか人でなしとか言うのなら。

君の人ではないのだろうなあ。

 

君の 都合のいい人 ではないのだろうなあ。

どこかでまた、穴に落ちてもそればっかりは10代から変われなかったから、これはもう仕方ないんじゃないかと開き直ってる。

 

性格悪いと何度も言っているじゃないか。

認めた

色んな事をもう認めてしまおうと、唐突に思ったらそれは既に認めていて

好きじゃないと、言わなきゃやってられない事も

羨ましいと、思ってしまったらダメだという事も

全部思った瞬間に、「好きだし羨ましい」と唐突に気付いた。

 

今まで結構本当に長いこと、好きも羨ましいもくっついたナニカと一緒に、ややこしく考えてしまっていた気がする。

だから「好きならば好きと言おう」に嫌悪を感じたんだろう。

当然であって、存外難しかった事実だと。

 

好きだという事を認めた。

そして、ハウエバーを正しい形で理解した。

仕事でそんなことはいくらでもあったから、温く笑える程度の事だった。

 

昔欲しくてたまらなかった。あのフィルムを手に入れたい。

あの頃描けなかった線が今描けるなら、絵が描きたい。

いつか笑えなかったその誰かの前で、「元気です」と笑いたい。

 

嘘くさいほど、胡散臭い程健全な今。

来年死ぬとかだったら本気で怖いな。