いやだな。君の話が解らない。

結構量のタスクが積まれてる。

妙な性格が助かって、「よっしゃ!このタスク片付けましょう!」と発奮してる。

君が好きだ。

君は誰だろうと、ふと想う。

 

美しい色と形、性的発奮を作用する声と造形。

 

君は誰だっけ。

 

前々から

忘れたと言い張りたかったその、ものモノをいよいよ、本意で解らなくなりつつある。

 

寂しいと、最早想えなくなりつつあるのが年月かと。

余りにも今の目の前が楽しくて。

 

だって仕方ないじゃないかと。

誰も別に責めてやいないのに、言い訳がましく。

 

その返事が来ない事をまた今年の夏もふと想った。

 

「聞いてよひどくない?」が解らない時は調子がいい。

女性特有のいざこざ、あいつがムカつく、パートナーの愚痴、悪意の砦。

それが何一つ楽しくないどころか、マジで理解出来ない時の女は充実しているんだなと最近気付いた。

要は全方向の興味が今自分ひとりに向いている証拠なんだなと。

良い意味で。

 

タイミングが合わなければその手の話を理解する事も出来なかった人生だったので、そりゃ彼氏が出来て別れて3ヶ月くらいのタイミングで情報共有される訳だよ。

 

こんなに周りに優しくないヤツに、そんな話したって面白くないもんな。

 

昔は結構反省してたけど、今は反省する様な事なのかも解らない。

悲しい事は、悲しいという事でちゃんと解ったと伝えたら、ソレ以上はもう何をすれば良いのか解らない事を、優しくないとか人でなしとか言うのなら。

君の人ではないのだろうなあ。

 

君の 都合のいい人 ではないのだろうなあ。

どこかでまた、穴に落ちてもそればっかりは10代から変われなかったから、これはもう仕方ないんじゃないかと開き直ってる。

 

性格悪いと何度も言っているじゃないか。

認めた

色んな事をもう認めてしまおうと、唐突に思ったらそれは既に認めていて

好きじゃないと、言わなきゃやってられない事も

羨ましいと、思ってしまったらダメだという事も

全部思った瞬間に、「好きだし羨ましい」と唐突に気付いた。

 

今まで結構本当に長いこと、好きも羨ましいもくっついたナニカと一緒に、ややこしく考えてしまっていた気がする。

だから「好きならば好きと言おう」に嫌悪を感じたんだろう。

当然であって、存外難しかった事実だと。

 

好きだという事を認めた。

そして、ハウエバーを正しい形で理解した。

仕事でそんなことはいくらでもあったから、温く笑える程度の事だった。

 

昔欲しくてたまらなかった。あのフィルムを手に入れたい。

あの頃描けなかった線が今描けるなら、絵が描きたい。

いつか笑えなかったその誰かの前で、「元気です」と笑いたい。

 

嘘くさいほど、胡散臭い程健全な今。

来年死ぬとかだったら本気で怖いな。

ふわり ふわり

譜割

 

滅多に出逢えない造形に、微笑まれればそれは忘れる事等できやしないだろう。

 

永らく忘れたかった思い出が、霞む日常を愛おしく思う。

思う想いすらどうでもいい程に、その微笑みは欲を生む。

 

その声、その首、その肩、その歪む笑顔。

 

全部が可愛いく愛おしく。

そして逆に花束を君に渡したい。

 

後ろのカードで戦う私の、私とどうかお茶でも一杯如何かと。

 

できぬまま、都会の群像へ。次もまた旅にでるのか。

私を嫌いな人種を考える

私。は私をかなり考えている。

私が楽しいとか、幸せとか、辛くないとか、そう言う事は殆どジャッジの最後の方にある。

人に迷惑をかけないこと。傷つけない事。集団の利益に成る事。

これを前提とした、その上での私がいる。

 

つまり私の幸福は、私をとりあえず置いて置く事から始まっている。

そしてそれを不幸だと嘆いた事もあったが、最早これが私だと。
受け入れてしまった。

 

そして、私は私が嫌いな人種も当然いるという事を知っている年齢に成っている。

それを嘆いた事もあったが、20代後半は「まあ、いるだろう。そういうヤツも。」となって、今は「どこが嫌なんだろう」に至る。

 

悲しいから改善したい訳ではなく、私の幸福への理念に反しているなら

改善すべきだと思った。

まあ、「顔が嫌い」とかそういう理由の場合、整形と秤にかけて大体は「彼の人に好まれる為に、この顔面を改造するのは不可能だ」となるのだけれど。

 

それはひとつ、私は私主体となって独善的によくなってしまう。

例えば、具体的に、期待される事が私は嬉しい。

だから、人を紹介する時、期待を持って欲しくてついつい煽ってしまう。

結果、その人に過度なプレッシャーを与えていると、物怖じしない後輩にたしなめられた。

素直に、「なんて自分はデリカシーがなかったんだ」と猛省した。

本当にアレは、自分勝手な行動過ぎて恥ずかしかった。

 

きっと私の事が嫌いな人間は、私の土台の幸福に対するモノサシが結局私の独善性からのモノだと解ってしまい、それが偽善的に見えて嫌悪するのか。と、思った。

 

この歳で、私を嫌いな人をイラッとさせる部分に、正直にストレートに突っ込んでくれるこの後輩を、私はとてもありがたく思う。

 

色んな人がいると、また解らせてもらえるのは、未熟な自分にとってとてもありがたい。

世界平和への選択

たまに想像する。

あの時別のルートを選べたかもしれない。

結果を具体的に夢想する。

多分、父親に敵うヤツなどままいない。

 

だから今の伴侶を選んだ。

その理由を3年前に世界平和だと名前を付けた。

 

金じゃない。権力じゃない。マウンティングの知恵じゃない。

私の「なんで?」に全然違う人生から、答えられたから選んでみた。

 

それを世界平和だと言った。

三年前の自分の語彙力とセンスの無さをたまに殴りたくなる。

 

どの分岐でも。

ドラマの様な言葉を

色んな事に諦めてもいいかもしれないと思えるタイミングで、冗談みたいな台詞を吐かれて、そこに留まる事が増えた。

 

それを夫に話したら「ドラマみたいな人生だね」と、意図は解らず返された。

 

前も話した通り、私はどうにも、物語の生き物の様な人間らしい。

 

それが他人にもバレているのかもしれない。

だから、ドラマの様な台詞を以て私を利用したいだけなのかもしれない。

 

大嫌いな男が私に既知で今更で当たり前の根性と夢を説く。

私は薄い笑顔を携えて、いつか旅に出る事を計画する。

けれど、その都度その場の誰かが、ドラマティックに私を引き止める。

 

それで納得するのは、やっぱりバレているのかもしれない。

この性質や本質や。

 

物語の住人だと思った事などないけれど、ソレを本気で言える人間を捜していたのかもしれないなと最近よく思う。

 

物語はドラマではあるけれど、本質は希望だから。

あり得ない希望を解りながら説得する事で、仲間が欲しいのなら。

喜んでそこに向かいたい。