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貧困を恐れる

金を食べている音がする。

その資本を嗤いながら食べている常識という音がする。

侮蔑して、嘆く。

 

金を食べて夢を叶えた話を聞いた。

見た事が無い貧困で人が死んだ話と同じくらいの感情と涙が湧いた。

 

沈む船から降り続け、沈む船体より荷物の重さを量り、そうやって豊かさを追ってしか生きていけない程きれいじゃない自分の人生を嘆いた。

嘆き過ぎて知恵熱を出して身体を壊した。

 

私は私を侮蔑する。

そして絶対的な貧困がまだ夢の話だと願ってる。

山を見せたい

年末に実家に戻った折、永い事大好きだった裏山を伴侶を紹介しようと連れて行った。

雪が深く、何もかもが白く、枯れて、音の無い。

大好きな景色だ。

 

結果を先に言おう。

連れて行けなかった。

 

詳細はこうだ。

私の大好きスポットに連れて行くには、裏山の川を越えなければならなかったのだが、この年に限って大豪雪が起きてしまい、遊歩道が埋まってしまっていた。

それでも何とか連れて行きたいと、川を越えようと川に降りてみたが、逆に死ぬかと思うサバイバルを経験した。

 

端で話せば、要はアレだ。

川を越える為に、川に降りたら雪に登れず、遭難するのかもしれない。

デッドorアライブ!!?

 

という。

 

自分がホイホイ愛した景色がそんなヤバめな世界だったとあんまり信じたくないんだが、結局伴侶には美しい真っ白でまっさらな裏山を見せてやれず、結構盛大に落ち込んだ。

 

そもそも何で裏山に川があるんだよ。意味が解んねえよとか本気で腹が立ったが、そこ含めての大自然だと思いなさい私。となだめた。

 

今年はじゅんぐりで夫の親族の手前、帰省は難しいだろうがいつかあの美しい名前のない山を見せたいと思う。

私の故郷は名前が無い自然で、名前が無い雪山だ。

なんなら殺人が起きたらしい。酷いな!

 

でも美しい。美しかった。それを伴侶に絶対に見せたい。

夢は金で買える

夢は金で買えない。

 

という人の夢や理想は、本当にたった自分にしか解らない夢や理想なんだと思う。

 

私もそういう人間だと思い込んでいた。

でも、楽しい人間関係の世界があると解って、時々対立はするけれど、互いに切磋琢磨しながら「私たち」という利益を追求する事が許される環境に出逢って、私の夢や、幸福は、そういうものだったんだと理解した。

 

そして、それを金で叶えている環境を見て、「そうか、買えるんだ」と思った。

 

企画とかアイデアとか文才とかアートとか。

時代に依って随分価値観が変わってしまうモノに夢を持つって事は、結構そういう事な気がする。

 

夢を叶える為に組織を作って、幸福な自分を眺めて楽しむ人生を理解する。

組織の為に、下げたくもない頭を下げて、万人の幸福を望むよりも余程マシな気だってする。

 

夢が時代に依って変わる欲望から始まった価値ならば、人の人生を買ってしまった方が多分早い気がすごくする。

 

私は多分そうなんだけど、何かが微妙に違うせいで、40歳に向けて金で幸せを買う計画すら立てられない。

 

別に金のために疲れた顔で愛想笑いをされたくないっていう、そういう善人的な話でもなくて。

そんなに安い夢だったって、認めたくないだけだと思う。

甘栗通り

漫画でも描くつもりだったんだろうだけど、今思う。

なぜ甘栗。

 

___________

 

「甘栗通り」

 

お腹が空いた…

 

こんな所に甘栗が。

がし

むしゃむしゃ

「こら!」

 

ずばっ!

指が一本なくなった。

 

痛い

 

「だめだよ」

 

だめなのか。

 

痛い。

痛い。

だめは痛い。

だめは痛い事。

 

 

だれかがまた甘栗を勝手に食べようとしている。

それは、痛くして良い事だ。

ずばっ。

「いたい!!なにをするの!」

え?だって痛い事をするんだよ。

「なんて酷い事をするんだ!」

だってそれはダメで、だから痛いんだよ。

「知るか!」

ずばっ!

今度はもう一本指が無くなった。

 

痛い痛い。

 

 

また誰かが勝手に甘栗を食べようとしている。

えっと。指を切ったら切られてしまうから。

えっと。

なんだ。

それは、指を切られるよ。

「なに?」

勝手に食べたら指を切られるよ。

「でもお腹が減ってどうしようもないんだよ。」

でもだめだよ。

「じゃあどうしたらいいんだよ、お腹が減ったんだ。」

えーっと…

お店の人が出てきてこう言った

「お前の指を一本切らせてくれたら、こいつに甘栗を食べさせてやろう」

えっと、いやだ。いやだよ。

「ひどい」

「酷いヤツだ」

えっと。

「なんて酷い。お腹が減った。」

「指くらいいいじゃないか」

えっと

えっとえっと

えっと

 

 

すぱーんと僕の指がもうひとつ飛んだ。

残りが一つ。

 

「なんてやさしいひとだろう」

 

聴こえない。

 

いたいよお。

いたい。

いたい。

 

いたい。

 

最後の指は守らなきゃ。

えーっと。えーっと。間違えない様に。

 

 

勝手に甘栗を食べたらいけない。

勝手に甘栗を食べている人の指を切ったらいけない。

勝手に甘栗を食べている人に注意をしてもいけない。

 

長い道に長く連なって甘栗屋さんがずっとある。

軒先に美味しそうな甘栗が山の様に積もって

美味しそうな匂いにつられて人が寄っている。

 

 

甘栗に近づかない事が、最後の指を切られない方法なら、

甘栗を見ない様に。

通り抜けて、ずっと通り抜けて、最後の指を守って。

 

 

まだ

 

まだ

 

まだ

 

甘栗屋さんは連なって、終わらなくて。

 

 

終わらない。

 

甘栗

香しい香り

群がる人

切られて飛んでく指

痛そうな誰か

全部の指が無くなった手

 

 

 

痛い

 

 

痛い

 

 

息も絶え絶えに、どうやって抜けたか解らないけれど、甘栗屋さんの通りを抜けて

光だけしかみえない道に出た。

 

最後にたった一つだけ残った指を誇らしげに、その光に向けたら

「だからどうしたの?甘栗の美味しさも知らないで」

 

 

そう言って

光から優しい刃が浮かんで、柔らかくクビを跳ねました

 

 

目が覚めて

また指が五本ある。

まだ指が五本ある。

狙いの否定が感情ならコミュニケーションは成立している

言葉でないコミュニケーションが成立して、それをNOと言われた事が増えた。

 

だからクオリティの話ではない、もっと先の話が出来たという、とても嬉しい事である。

 

作ったものが「こういう風に見えちゃうからやだな」と言われて、「そんな風に作ったつもりじゃないんだけどな」とか「そんな事考えてなかった」というのが減った。

 

狙いは狙いのまま、相手に伝わり、それにNOと言われる様になった。

 

相手の事が好きになれる。

意思疎通が言語以上に出来た時に、否定でも嬉しいと初めて思えた。

 

だから、じゃあ「よおし!別なの作りましょう!!どんなのがいいですか?カッコいい系?スタイリッシュ系?工数?知りませんよ!そんなもん!!」となってしまう事は、組織に属している以上マズい事だとは思う。

 

嬉しくて、ワークフローを疑う事も忘れそうになるのは、ダメだな。

男に生まれたらよかったんでしょう

タイトルはそのままに、結婚式前日だったか挙式の夜だったかに、父親に言った本気の一言だった。

 

蝶よ花よと、愛される教育など何一つされなかった姉妹は、鉄の鎧を着続ける常識を与えられ、大人になって。

少女の未熟さに総てが依っていたと思い込んでいた事実を目の当たりにして初めて、

父親が本当に欲しかったのは男児だったのではないかと教育を振り返って思った。

 

何かが辛かった記憶はないが、興味も無いキャッチボールは辛かった。

父親が子供とやってみたかった夢に楽しめなかった自分の記憶は本気で結構辛いし覚えているものがある。

別に父親はメジャーリーガーを育てたかった訳じゃなかったんだろうけども、息子とキャッチボールがしたかったんじゃないだろうか。たった、そのひとつ。

 

たったそのひとつ、が思春期の少女だった私にとっては歪な記憶になった。

 

やたらと野球をさせたがった。そんなんじゃ社会じゃ生きていけないと、プレゼンの基礎を叩き込んだ。なんなら、やりたい事には資料を作って提案しないといけなかった。

 

女の子特有の可愛らしい、ねだりなんか何一つ教えてもらえず、大人になって。

 

気が付けば「武士」だなんて渾名をつけられて。

 

もしも男に生まれていれば、父親の満足いく教育とかが出来て、父親の幸福フィルターにかけられていたかもしれないな。

そうしたら、現在の伴侶がゲイでない限り、私はそのフィルターからは逃げる事もしなかっただろう。

逃げられない。ではない。

逃げる事もしない。だ。

 

生れ落ちた性別を飽きる程嘆いた事があった。

何度、男だったら良かったのに。と壁に頭を打ち付けた事があっただろうか。

自分の否定のifは遠い足場を外す感覚で中々辛いものがある。

 

伴侶の登場で、女として生まれて良かったと、今普通に思う。

義理と希望と真理

今所属している会社をポジティブな理由で辞めた方がいいと思う事がままある。

 

唯一辞められない希望みたいな部分が、直属の上司があまりに出来た人間だからだ。

この人がいるのなら、居続けるのなら。

という希望と

この人のおかげで、この人が頑張ってくれたおかげで。

という義理で

辞められない。

 

結構散々な目には多分あってきた。

事実を知らないのに斜め上の叱咤をされ、小首を傾げながらのデスクワークは肩もこる。

あらゆる性的な面倒を知っている彼らに取っては、ひとつの若さが総てそれに見えた事も、今こうやって、認めてくれた人がいる余裕を持てば理解出来る。

散々な目も、たった一人の上司のおかげで笑い飛ばせる程度に成長出来た。

 

だから、散々な目にあった事で辞めたいわけでは決して無い。

ただ、その上司がそこまで引っ張り上げてくれたという事は間違いない事実で、いや当然私もそれに相応しい努力はしたが、きっかけの総てはやはり上司だと思う。

 

上司が作る組織で、同じ様な幸福の感覚値の組織で、好き勝手にやれたらきっとずっと楽しい。

 

でも、上司に私の人生のドキドキの総てを預けるのは余りに迷惑な話だと思う。

だから、どうしたらいいんだろうと。

 

人々は好きで、素直に感謝も花束も愛も伝えても許される組織だけど、もっと楽しそうな事が見えてしまえばそれを望むのは難しい。

 

上司はいじらしいほど一生懸命で、疑う程まっさらで、時折黒い発言をする人間らしい社会人で、最も信用できる。

 

辞めるべきか辞めざるべきか。

去年の夏の占いでは、今年は転職すべきと出ていた。