旅先ロジカル

トルコに行った。

日本が世界の極東の田舎だと、心底思う景色を沢山見て、教科書の歴史が真実ならば、

日本という国は、何て幼く、また狭く、そして戦も政も、ごっこ遊びの国だったのかと

嘆いた反面、現在の、いや現在よりほんの100年程前からの、奇跡みたいな豊かさをいぶかしげて、先人達の努力に拍手を送りたくもなった。

 

ともかく、あらゆる感情が巡り、何とも一言では言えない感情が今回のトルコ旅行の感想であったりする。

 

せっかくなので、旅先での面白エピソードの数々でも羅列しようかと思ったけれど、ハッキリ言ってあの景色も感動も、文字列だけで伝えられるなんて思えない。

スケールも色も、文字でどうこう語れる程、私は雄弁なその技術を持ってはいない。

いや、どんな文豪だろうと、あの感動を表現するのは不可能だと確信を持った。

 

だから一回行ってこい。

石の文明とたかだか4000年程度?の歴史ではあるが、

文明の真ん中を見ておいで。

 

ということで、旅というその行動とは別に。

おまけとして手に入った1週間の、トルコへの感動の時間とは別に。

全く仕事をしなくて良い、というか出来ない。出来ないという大義名分を手に入れて、ポッカリ空いた、未来を計画しなくていい時間に、私が何を思ったかと言うと

いやいや本当に、今更過ぎる話なのかどうなのかは不明だけれども、

己の思考と行動が結合する、理由という物を発見出来た。

 

結局私は私の感情と思考を全てをロジカルにした方が、あらゆる行動をコントロール出来ると、ようやくハッキリ確信を持てた。

 

未来の計画ばかりを巡らせねばならなかったここ半年程、何もかもが薄ぼんやり気に食わず、とはいえ何をやったら良いのかも解らず、片っ端から手を付けては、何かが違うと放り投げた。

 

全ての善行に首を傾げ、ソレは欺瞞だと潔癖すぎる思考は拒否を示し

あらゆる拒否は結果、所謂悪行への憧れへ繋がった。

そうして所謂悪行を積み上げて、けれどそれでも何もならない、むしろ反省や後悔ばかりが積み重なり、苦しみ抜く羽目に成り下がる。

 

拒否から反発し、選んだモノでも苦しむのなら、それはやはり違うのだ。

誰にでもなく、己にとってが違うのだ。

 

空いた時間を足しても、丸まる一日よりもっと多い。

そんな旅先で、本当に永い事同じ事ばかり思考し続けて、ひとつひとつ丁寧に汲み上げ、思考を少ない語彙で汲み上げて、行動と感情と思考と美意識をイコールで繋げ続ければ、己の行動のロジックはキチンと組み上がる。

 

そうして、そのロジックと浮かんだ格言まがいな言葉を胸に置き

そのように生きようと思うと、苦しみからやっとこ解放された気分になった。

 

私はロジックを組んだだけで、感情は理解へ繋がり、それは解放へと繋がった。

人にとってはロジックを組んでも実益が出なければ(この場合の益は金銭以外も指すのだが)解放に至れないかもしれない。

 

とはいえ、善行を「言われてみればそうだよね」程度までに落とし込み、初めて善行がただの行為や動機であり、それはどうという話でもないのだと。

ようやく胸を張って言えるロジックを組めた事が、今の私にとって「とりあえず」良かった。

 

 

あくまで「とりあえず。」でしかない。

どんなに確信を得たって、明日の自分は違うのだから、そこまで責任は取れない。

 

かなり歳をくうまで、言語で思考しなかったもんだから、言語で思考する事がここまで他者の共感を得て、そして得る事で自信を得て、我が回答は我が回答であると確信を、少なくともこの人の前ではそう振る舞ってよいと、ようやく解った。

 

 

懐疑的にも拘らず、理屈で物事を考えるクセを持ってないのだから

それはまあ頭が悪いと言われるよなあ。

 

ちゃんちゃん。

 

 

ああ、トルコ旅行は超楽しかった。

アヤソフィア、ブルーモスク、トプカプ宮殿が、究極にツボ。

アラビア書道やりたいですね。