旧知の君が輝く今に僕はなんと話しかければ善い人でいられるだろうか

有名になると親戚が増えるとも

友人が増えるとも言われている。

 

見知らぬ誰かでさえ友人になってしまうのだから、うざってえ事この上ないと思う。

 

では、本当の友人はどうなんだろう。

 

少なくとも誠意を持って友人と向き合っているという自覚があればある程、きっとそうやってすり寄るうざったさも、そういう風に見られるんじゃないかという恐怖も、果ては世界が変わってしまった友人は、もう私の事等忘れてしまっていても不思議じゃないなと、これまた違う方向にうざったるい卑下たる想いを抱えて、ああその友人は、もしかした本当は私から聞きたかったかもしれない、

「有名になった内容を私はとても感動したよ」

という言葉を、聞けずに遥か彼方、孤独の旅へと出るだろう。

 

という事を一昨年くらい、卑屈に卑屈を重ねて、なんて卑屈というのは酷い事を平気でやったり言ったり出来る代物なのかと、絶望し恥を知った。

 

それで、去年一年程でたとえどれだけ有名になろうが、そもそも心から友人の内容に感動したらそう初めから最後まで伝えよう。

そして別段、友人の内容に感動していないで、何だか妙に有名になっちまったら。まあそれはそれで。

「なんだかいやに周りがうるさそうだが、まあまあ養生して、テキトウ。テキトウが一番だよ君。」

なんて事を言ったり、してみる事にした

 

そうやってやった結果の具体的な話は、まだ何も喋れないが、今年一年で何かが話せるといいと思う。

 

有名かどうかなんて、話のネタの3分にしかならない事など割とどうでもいい。

 

友人が好きだったり、友人の作ったものが好きだったりでしか考えられないのだから、自分がどこにいるか等という発想で、卑屈になるのだけ止めておきたい。