読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

殺意が沸いたら旅に出よう。

人生において30近づきよくよく思うのが、「こいつは死んでしまえば良い」と思う様な物騒な感覚を、他人なり組織なりに思う時、そしてそれが一瞬以上に継続した場合。

それの対象がお亡くなりになるより前に、そこの関係以外を探す旅に出た方が精神衛生上よろしい。

 

「死ねば良い」まで行きついてしまった以上、その関係を改善しようと努力をしても報われなかったのだろうから、違う所に希望を持った方がよい。

気がする。

 

一時、「期待をするから辛いんだ。期待等しなければいい。」という精神衛生のブームが私の周りで発生したが、私はどうしても納得できなかった。

期待しない他人との付き合いは、壁に向かって喋っているのとなんら変わらない気がしたからだ。

 

だが、しかし、期待が相手にとって負担の場合、それは確かに互いに衛生的によくない。間違いなく。

 

ならば、関係性に殺意が沸いた時、期待と希望は常に新しい場所へ向けて、だからといって別にその「死ねば良い」の関係も終了させる必要もない。

 

本当にその対象が問題で「死ねば良い」のか。ひょっとしたら自分が過剰に期待し過ぎた「死ねば良い」なのかもしれないのなら、一度旅に出ればいいと気が付いた。

 

とはいえ、「それは別れて正解だわ」という関係性も、この世の中には大量にあるのだから、

何が何でも今ある縁を大切に!

などという不用意な発言がしたいわけではない。

 

そしてこの殺意に関しては、「自分が死んだら良い」も含まれる。

消えてしまった方が良好になる未来を想うなら、そこではない場所で、そうではない未来を探す旅に出続けようと、ぼんやり思う。