共通価値ではないエゴを

あらゆる憧れに意味がなかったとうなだれて、失望や絶望の感覚は薄れて、ときめきの記憶だけが胸に残った。

 

どきどきやワクワクは、多分、生計の外側に確かにあったものだった。

 

血反吐を吐かなくても金は稼げた。

頭の悪さを嘆いて努力を続けなくても仕事はもらえた。

生きる事に必死にならなくても、死なずに生きている。

 

趣味といわれる事が、何かを諦めた様に聴こえて嫌いだった。

それで生計を立てなければ意味がないという呪いから長い間醒める事が出来なかった。

 

共通価値とトキメキを切り離してやったら、いくらでも世界は広がった。

 

やっと「ああ、死ななくてもトキメキを追ってもいいんだ」と理解した。

それの名前が趣味というものならば、好きに呼べばいいと腑に落ちた。

 

続かなくても、生活にしなくても、たった一度でもいいやりたい事は全然まだまだやっていないから、人生残り多く見積もって60年?70年?

 

足りないなあ。