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執着が群像に消えたのかもしれない

忘れたい事があって色々始めた。

iPhoneを買って、就職を決めて、結婚して、昇進して、自分の稼いだ金で両親を旅行に連れて行って、引っ越して、本を作った。

 

忘れたかった事が夢に出て来なくなった。

 

最期にみた夢は、酷く悲しいけど、普通に考えたら間違っていない夢だった。

 

あれから、私は職場も変わって、与えられる言葉も変わって、失った自尊心を取り戻したような気がした。(が、そういう話の手前の話で今普通に辞めたい)

 

久しぶりにその顔を見てみた。

デジタルの記録で眺めては、いつも沸いた何かしらの感情が、沸かないと判った。

 

多分、ここでも何度も嘘をついた「忘れた」という事を、ようやく半分くらいそうだと理解した。

 

わざわざ。

忘れたと言いたいなんて結局覚えているものだ。

 

今は、忘れてはいないけれど、激情のナニソレや、圧倒的な希望とか。

そういう事がその発想根本的に懐かしいと。

思える程度に多分歳を取ったし、取ってしまったんだと。

 

iPhoneを買って、就職を決めて、結婚して、職場で胸ぐら掴み合う喧嘩をやって、救われて、ちゃんと認めてもらって、辛くて告白して、相手を巻き込んで、成果を出して、昇進して、自分の稼いだ金で両親を旅行に連れて行って、引っ越して、今にも死にそうな祖母に絵を描いてやるって言ったら「18のアナタが描いた絵だから意味がある」とか言われて、夢を喋って夢を聞いて本を作って、世界を眺めていいのかどうかとか悩んで、やっと母校に笑いながら行ってラーメン食べました。

 

そういう事を振り返って今その顔を見て、群像の中に一人になったかもしれないのかもしれないと。

 

あったことは消せないけど、あった事は消せないけどそうだなと思い耽った。