夢と妄想

妄想が出来なくなった。

「こうなったらいいな」も少しずつ本気で300億を望まなければならないくらい力強く遠くになった。

身近な人間にナニカの期待をしなくなった。

「止めた方が良い」じゃなくて、予想した以上の事なんか他人は持って来てはくれないという事実を理解した。

 

自分で歩かなきゃ、自分で触らなきゃ、自分勝手に生きなくちゃ、予想以上の解答は多分無いとやっと本質的に理解した。

 

それでもう一度夢が見られた。

 

もう一度、誰かがナニカを持って来てくれるなんて期待もせずに、なんなら巧い事そういうモノを今だに信じているヤツを騙す程度に笑顔を作って、ひとりぼっちを楽しむ事にして。

 

そしたらもう一度夢が見られた。

 

ルネサンス印象派の画家達のスキャンダラスな生き方の話を、新技術の可能性を、私が見ている世界の後ろでなにが起きているのかという少しの不思議を読めば、聴けばワクワクは止まらなくなった。

 

でも、現実は横たわっている。

やっともう一度の夢が見られた後に待っていたのは情けなくて退屈で、多分私の人生において本当は無価値な今だ。

いや、正確には、「無価値だ」と思っている場所にいる私だ。

きっと「無価値だ」と思いながらもここにいる事を振り返れば学べる事はある。

 

一周回ってもう一度夢が見られてワクワクする事を知ったら、本当にあと少し。

忘れたと嘘を何度もついたあの日を、忘れる程の今がある事は、夢を見る為に「無価値」から逃げなかった時間だと思えば割もいい。

 

もう一度夢を見た。

だから多分本当に、あと少し。